お仕事日記。
2003年12月22日そろそろ冬休みということもあって、仕事場のゲームセンター(プリクラとクレーンと、メダル機が中心なファミリー向け)には、子供たちがワサワサしだしました(笑)
どうにかして、店員の目を盗んで悪いことをしようとするガキンチョと、私たち店員のイタチゴッコみたいな毎日が、最近とても楽しくて仕方がないんです。
例えば…
不正行為が発覚したため、使用禁止として、コンセントを抜いた状態で停止していた機械があります。
でも、ガキンチョらは、不正行為でメダルを増やしたいがために、せまーい機械裏に侵入し、店員に見つかったら追い掛け回される危険を冒しながら、コンセントを差し込んで使用するんです、「俺がさしたんじゃないよ、ついてたからやってるんだ」なんて言い訳しながら。
現行犯注意が原則なこちらとしては、そういわれたら何も言い返せないですからね。ちょっと悔しいわけ。
で、どうするかっていうと、店員しかもっていない鍵で機械を開けて、内部の電源を、こっそり切っておくんです。そうしたら、コンセントをつないでも電源は、入りません。
しばらくして、またしてもガキンチョらは、決死の覚悟でコンセントを繋ぎに向かいました。
が、結果は無反応。当たり前です。電源切ってるんですから(笑)「えーなんでー」とか言いながら、泣きそうにしてるガキンチョらを遠めで観ながら、私は密かにニヤリと微笑むのです(笑)
「ばかめ」と思いながら。
もうそういうのが毎日毎日楽しくて楽しくて(歪)
いやね、悪いことをしてても、ツメがあまいというか、やることが可愛いんですよ、ガキンチョらは。やっぱり小学生なんだなぁと。そうして、ゆがみながら成長していくんだなぁと(笑)
お仕事が楽しいのはいいことです。
どうにかして、店員の目を盗んで悪いことをしようとするガキンチョと、私たち店員のイタチゴッコみたいな毎日が、最近とても楽しくて仕方がないんです。
例えば…
不正行為が発覚したため、使用禁止として、コンセントを抜いた状態で停止していた機械があります。
でも、ガキンチョらは、不正行為でメダルを増やしたいがために、せまーい機械裏に侵入し、店員に見つかったら追い掛け回される危険を冒しながら、コンセントを差し込んで使用するんです、「俺がさしたんじゃないよ、ついてたからやってるんだ」なんて言い訳しながら。
現行犯注意が原則なこちらとしては、そういわれたら何も言い返せないですからね。ちょっと悔しいわけ。
で、どうするかっていうと、店員しかもっていない鍵で機械を開けて、内部の電源を、こっそり切っておくんです。そうしたら、コンセントをつないでも電源は、入りません。
しばらくして、またしてもガキンチョらは、決死の覚悟でコンセントを繋ぎに向かいました。
が、結果は無反応。当たり前です。電源切ってるんですから(笑)「えーなんでー」とか言いながら、泣きそうにしてるガキンチョらを遠めで観ながら、私は密かにニヤリと微笑むのです(笑)
「ばかめ」と思いながら。
もうそういうのが毎日毎日楽しくて楽しくて(歪)
いやね、悪いことをしてても、ツメがあまいというか、やることが可愛いんですよ、ガキンチョらは。やっぱり小学生なんだなぁと。そうして、ゆがみながら成長していくんだなぁと(笑)
お仕事が楽しいのはいいことです。
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次回公演。
2003年12月9日三月の次回公演に向けて、
今日の稽古で戯曲が配られました!
(ちょっとだけ)
それがね、面白いんですよ。まじで。
叫びたくなるくらい面白い!
いや、自分とこの作家の書く戯曲を面白い面白いと連呼するのって、スマートなことじゃないけど、でもそんな感じなんですって。
まず魅力的なのが、登場人物のキャラクター。
今回は、劇団員に当て書きをするという手法で書かれたものですから、団員の魅力を存分に引き出せる役柄になっています。当て書きのいいところですね。
ギャグも下ネタも満載(笑)
自称下ネタ王(略してシモ王)な作家が書くんです。読んでて「ぎりぎりだな」と思うネタもありますが、そこも笑いどころとしてイイポイントついてます。
ただ、それだけ戯曲の段階で面白いということは、役者の演技力もかなり要求されるということです。コメディには、静と動のメリハリ、間の乗せ方、感情の流れが、細かく繊細に作用してくるものだと思いますから…。
役者部長として、基礎の演技指導を任されている私にとっては、そこのところがかなりプレッシャーだったりもします。
いや、でもやりがいがある!
というわけで燃えています!
やっていきます、命の限り(笑)
劇団員全体、波にのってますよ、
このまま年越し&公演へ!
今日の稽古で戯曲が配られました!
(ちょっとだけ)
それがね、面白いんですよ。まじで。
叫びたくなるくらい面白い!
いや、自分とこの作家の書く戯曲を面白い面白いと連呼するのって、スマートなことじゃないけど、でもそんな感じなんですって。
まず魅力的なのが、登場人物のキャラクター。
今回は、劇団員に当て書きをするという手法で書かれたものですから、団員の魅力を存分に引き出せる役柄になっています。当て書きのいいところですね。
ギャグも下ネタも満載(笑)
自称下ネタ王(略してシモ王)な作家が書くんです。読んでて「ぎりぎりだな」と思うネタもありますが、そこも笑いどころとしてイイポイントついてます。
ただ、それだけ戯曲の段階で面白いということは、役者の演技力もかなり要求されるということです。コメディには、静と動のメリハリ、間の乗せ方、感情の流れが、細かく繊細に作用してくるものだと思いますから…。
役者部長として、基礎の演技指導を任されている私にとっては、そこのところがかなりプレッシャーだったりもします。
いや、でもやりがいがある!
というわけで燃えています!
やっていきます、命の限り(笑)
劇団員全体、波にのってますよ、
このまま年越し&公演へ!
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演劇について。
2003年11月25日「三回、やめようと心に誓って、今もやっていること。」
それが私にとっての演劇です。中学一年生から演劇をやって、高校二年生の時、この舞台が最後でも良いと思った時が一回目でした。しかしその一年後、あっさり撤回して、短大で演劇を専攻。ところが、その奥の深さと稽古に割く時間の多さにしり込みして、ここの卒業と同時に、演劇も卒業しよう、と思ったのが二回目。ところが卒業間際の公演が楽しくなってしまって、少し悩んだ末、二回目の撤回。その三ヵ月後、実はその頃はトリニティ旗揚げの企画が水面下で着々と進行していたのですが、バイトが忙しくなり、大学進学と同時にやっぱりやめようと決心していました。ただトリニティのほうだけは、切るに切れずにだらだらと繋がったまま、大学に編入し一ヶ月。いつの間にか生活が、大学の授業ではなくトリニティを中心に回っていることに気がつき、またもやあっさり撤回。さらには大学まで軽くやめてしまったのが三回目。
そうして今では、演劇中心の生活をするために、淡路島に引っ越してきてすっかり落ち着いてしまっています。人生を演劇に捧げる決心をしたのです。学歴も名誉もそこでは大した問題ではありませんでした。
ではなぜ、演劇は、私の人生をそこまで左右し得たのでしょうか。
私は、自分が囚われた演劇の魅力に関して、次のように分析します。楽しいから、緊張するから、悔しいから、わくわくするから、辛いから、大変だから、面白いから。つまり、演劇にかかわっていると、心がどんどん動いていくわけです。
演技をする上で、意図的に心を動かすことはもちろん、一人では作り上げられない、演劇はそういうものですから、人との関わりの中で、日常生活よりも深く関わっていきますから、ぶつかったり仲直りしたり譲り合ったり、そういう心の動きにしたって、そうです。単調なこと、同じことなんて何一つない。それが演劇が私を捉えて離さない理由です。
しかし、ここで断わっておかなければいけないことがあります。演劇だったら、なんでも良いと言う訳ではない、ということです。演劇に囚われた人間の前に、私は、一表現者としてありたいと常に思っています。つまり、私が舞台に立つ以上、それはその舞台の戯曲、演出の表現であると同時に、私の自分自身の表現でもあるのです。ですから、私は、私にとって有益と考えられる舞台にしか立ちませんし、自分の尊敬できない演出家の下で芝居をうったりは基本的にしません。私が、大阪の劇団ではなく、トリニティに入団したのも、そういった理由からです。大阪では、しっくりくる劇団がなかったんです。今の団長以上に面白そうと思える演出家と出会えなかったから、引越しを決意しました。
トリニティは、私を一表現者として尊重してくれますし、まだ生まれたての劇団ということで、ただ舞台で演技をしていればいいというところでもありません。もっと大きな行動を要求されますから、それはその度に私の人間としての成長材料になりますから。
そうそう、ひとつここでお断り。
大阪で、好きな演出家さんはたくさんいますよ、もちろん。えぇ、だって、大好きですよ、今はロンドンだけど土田英生さん。深津さんも魅力的ですし、岩崎さんもどきどきさせられます(笑)でもね、好き、と入団は違うでしょ。今あげた劇団に入団したいなんて、まだ成長途中の私なんて、失礼で言えたもんじゃありませんし(苦笑)観客として学ばせていただく、という立場で十分だというだけです。否定しているわけじゃないですから、あしからず。
とまぁ、なんでお前は淡路島にいるんだー!?
と、よくきかれるので、書いてみました。その理由みたいなこと。長くなりましたけど、このタイトルで読むことを決意してくださった方になら、お許しいただけるんじゃないかなぁなんて思って、そろそろ今日は終わりたいと思います。
それが私にとっての演劇です。中学一年生から演劇をやって、高校二年生の時、この舞台が最後でも良いと思った時が一回目でした。しかしその一年後、あっさり撤回して、短大で演劇を専攻。ところが、その奥の深さと稽古に割く時間の多さにしり込みして、ここの卒業と同時に、演劇も卒業しよう、と思ったのが二回目。ところが卒業間際の公演が楽しくなってしまって、少し悩んだ末、二回目の撤回。その三ヵ月後、実はその頃はトリニティ旗揚げの企画が水面下で着々と進行していたのですが、バイトが忙しくなり、大学進学と同時にやっぱりやめようと決心していました。ただトリニティのほうだけは、切るに切れずにだらだらと繋がったまま、大学に編入し一ヶ月。いつの間にか生活が、大学の授業ではなくトリニティを中心に回っていることに気がつき、またもやあっさり撤回。さらには大学まで軽くやめてしまったのが三回目。
そうして今では、演劇中心の生活をするために、淡路島に引っ越してきてすっかり落ち着いてしまっています。人生を演劇に捧げる決心をしたのです。学歴も名誉もそこでは大した問題ではありませんでした。
ではなぜ、演劇は、私の人生をそこまで左右し得たのでしょうか。
私は、自分が囚われた演劇の魅力に関して、次のように分析します。楽しいから、緊張するから、悔しいから、わくわくするから、辛いから、大変だから、面白いから。つまり、演劇にかかわっていると、心がどんどん動いていくわけです。
演技をする上で、意図的に心を動かすことはもちろん、一人では作り上げられない、演劇はそういうものですから、人との関わりの中で、日常生活よりも深く関わっていきますから、ぶつかったり仲直りしたり譲り合ったり、そういう心の動きにしたって、そうです。単調なこと、同じことなんて何一つない。それが演劇が私を捉えて離さない理由です。
しかし、ここで断わっておかなければいけないことがあります。演劇だったら、なんでも良いと言う訳ではない、ということです。演劇に囚われた人間の前に、私は、一表現者としてありたいと常に思っています。つまり、私が舞台に立つ以上、それはその舞台の戯曲、演出の表現であると同時に、私の自分自身の表現でもあるのです。ですから、私は、私にとって有益と考えられる舞台にしか立ちませんし、自分の尊敬できない演出家の下で芝居をうったりは基本的にしません。私が、大阪の劇団ではなく、トリニティに入団したのも、そういった理由からです。大阪では、しっくりくる劇団がなかったんです。今の団長以上に面白そうと思える演出家と出会えなかったから、引越しを決意しました。
トリニティは、私を一表現者として尊重してくれますし、まだ生まれたての劇団ということで、ただ舞台で演技をしていればいいというところでもありません。もっと大きな行動を要求されますから、それはその度に私の人間としての成長材料になりますから。
そうそう、ひとつここでお断り。
大阪で、好きな演出家さんはたくさんいますよ、もちろん。えぇ、だって、大好きですよ、今はロンドンだけど土田英生さん。深津さんも魅力的ですし、岩崎さんもどきどきさせられます(笑)でもね、好き、と入団は違うでしょ。今あげた劇団に入団したいなんて、まだ成長途中の私なんて、失礼で言えたもんじゃありませんし(苦笑)観客として学ばせていただく、という立場で十分だというだけです。否定しているわけじゃないですから、あしからず。
とまぁ、なんでお前は淡路島にいるんだー!?
と、よくきかれるので、書いてみました。その理由みたいなこと。長くなりましたけど、このタイトルで読むことを決意してくださった方になら、お許しいただけるんじゃないかなぁなんて思って、そろそろ今日は終わりたいと思います。
出勤☆
2003年10月24日一ヶ月ぶりに、出勤しました。
なんというかね、楽しかった(^^
家でのんびりしているのも
もちろん楽しいんだけど、
やっぱり外に出て、人と触れ合うのが
比べ物にならないくらい楽しかった。
入院のために一ヶ月お休みをもらっていたら、
ゲームセンターに来る常連のお客さんからは
「最近見なくて心配したよ」
なんて声をかけてもらえるし、
小学生の悪ガキらも、私をみつけるなり
「おうよ」
って意味もなく寄ってきてくれる。
一ヶ月前、
ゲームセンターで万引きをした少年を捕まえた。
「何してんのよ、あんた」
小学生に対して本気で怒って、
店への出入りを禁止した。
店の決まりだったから、そうしたものの、
店の周りで、入りたそうにしている
彼を見ると、つらかった。
反省してくれたら良いな、
いつかはきっと禁止令もとれるよな、
なんて思いながら入院して。
戻ってきたら、彼は楽しそうにゲームセンターに
遊びに来ていた。
あんなにこっぴどく叱ったのに、
さりげなく近づいてきて、
強がりながら話しかけてくれたのが嬉しかった。
笑顔で応えると、調子に乗っていたずらの計画なんて教えてくれたりした。
子どもって不思議なもので、
いたずらされて、悪さされて、
その時は注意したり叱ったりするのに参って、
イライラしたりもするけれど、
出入り禁止にしてしまって、いなくなると
寂しいもので、いつも通り(悪さはせず)
楽しそうに目の前で遊んでくれるととてもかわいい。
高校生の不良も同じ。
タバコをすったり、機械を壊したりするけど、
叱って怒鳴っても、また彼らが楽しそうにあそんでいると、なんだかほっとする。
それはこの職場が、
小さい子から大人までが、遊びに来る場所だからなんだと思う。楽しみに来るから、ちょっといたずら心で悪さをしても、叱られるから楽しくないと知ったら、おとなしく楽しいようにゲームしてる。その空気が伝わってくるから、私もお客さんを見て楽しくなれる。
久々に行った仕事では、
笑顔がたくさんあった。
それが嬉しかった。
明日からもがんばろう。
なんというかね、楽しかった(^^
家でのんびりしているのも
もちろん楽しいんだけど、
やっぱり外に出て、人と触れ合うのが
比べ物にならないくらい楽しかった。
入院のために一ヶ月お休みをもらっていたら、
ゲームセンターに来る常連のお客さんからは
「最近見なくて心配したよ」
なんて声をかけてもらえるし、
小学生の悪ガキらも、私をみつけるなり
「おうよ」
って意味もなく寄ってきてくれる。
一ヶ月前、
ゲームセンターで万引きをした少年を捕まえた。
「何してんのよ、あんた」
小学生に対して本気で怒って、
店への出入りを禁止した。
店の決まりだったから、そうしたものの、
店の周りで、入りたそうにしている
彼を見ると、つらかった。
反省してくれたら良いな、
いつかはきっと禁止令もとれるよな、
なんて思いながら入院して。
戻ってきたら、彼は楽しそうにゲームセンターに
遊びに来ていた。
あんなにこっぴどく叱ったのに、
さりげなく近づいてきて、
強がりながら話しかけてくれたのが嬉しかった。
笑顔で応えると、調子に乗っていたずらの計画なんて教えてくれたりした。
子どもって不思議なもので、
いたずらされて、悪さされて、
その時は注意したり叱ったりするのに参って、
イライラしたりもするけれど、
出入り禁止にしてしまって、いなくなると
寂しいもので、いつも通り(悪さはせず)
楽しそうに目の前で遊んでくれるととてもかわいい。
高校生の不良も同じ。
タバコをすったり、機械を壊したりするけど、
叱って怒鳴っても、また彼らが楽しそうにあそんでいると、なんだかほっとする。
それはこの職場が、
小さい子から大人までが、遊びに来る場所だからなんだと思う。楽しみに来るから、ちょっといたずら心で悪さをしても、叱られるから楽しくないと知ったら、おとなしく楽しいようにゲームしてる。その空気が伝わってくるから、私もお客さんを見て楽しくなれる。
久々に行った仕事では、
笑顔がたくさんあった。
それが嬉しかった。
明日からもがんばろう。
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今だから暴露。
2003年10月22日一年前に別れた彼氏から着信があった。
なんだろう。
一日ぼんやりと考えていたら、
いろいろなことを思い出した。
突然キスをされて、それから始まった恋だった。
8ヶ月の遠距離恋愛の末、私が関西に引っ越して一年半、お互いの家を行き来したりした。
二年間。
とても愛されていたけれど、
私はその間、たくさんの浮気をしていた。
そのうちいくつ彼が知っていたかは知らない。
けれどいくつかは知っていた。
私の心が、自分ひとりのところにないことを、
彼はずっと知っていた。
それでも「俺が守る」といい続けて、
尽くしてくれた。良い彼氏として、
常に私の逃げ場になっていてくれた。
その頃の私は、
「自分の気の向くままに生きる」
そんな風に振舞っていたから、
彼がどれだけ心を痛めていたかなんて
考えもしなかった。
むしろ、考えないようにして、
自分の罪を認めずに生きていた。
裏切られることの辛さも、
信じぬく辛さも、離れられない辛さも、
私は何一つ知らなかったから。
いまさらだけど、それらを知って、
いまさら彼の気持ちを察して、涙が出そうになる。
自分に置き換えて考えると、
死にたくなるほど心が痛んだから。
「自分の想いが届かずに、裏切られた時の気持ちってどんなものなの?どうしてそれでも私と一緒にいたの?」
そうやって聞いたことがあった。
もう別れを決めたときのことだった。
彼は穏やかに言った。
「好きだったから。」
私は納得いかずに、また聞いた。
「どうして私を捨てなかったの?」
同じ声色で、彼はまた笑う。
「想いがつたわからなかったからって諦めるのは簡単だけど…そんなことはしたくなかった。簡単なことじゃなくて、難しくても、支え続けることで、気持ちを伝えたかったし。何より、そんな危なっかしい君を守っていきたかった」
全てが過去形で語られていたことが、
少しだけありがたくって、
最後になってはじめて知った彼の気持ちに
素直に感動した。
それでも、私の道と彼の道はすでに違っていたし、私は新しい道を共に歩む人もいたから、とても感謝はしたけれど、二度と恋が芽生えることもないことを実感した。
そして彼と付き合った最後に、
ようやく私は、人の痛みを考えることを覚えた。
なんだろう。
一日ぼんやりと考えていたら、
いろいろなことを思い出した。
突然キスをされて、それから始まった恋だった。
8ヶ月の遠距離恋愛の末、私が関西に引っ越して一年半、お互いの家を行き来したりした。
二年間。
とても愛されていたけれど、
私はその間、たくさんの浮気をしていた。
そのうちいくつ彼が知っていたかは知らない。
けれどいくつかは知っていた。
私の心が、自分ひとりのところにないことを、
彼はずっと知っていた。
それでも「俺が守る」といい続けて、
尽くしてくれた。良い彼氏として、
常に私の逃げ場になっていてくれた。
その頃の私は、
「自分の気の向くままに生きる」
そんな風に振舞っていたから、
彼がどれだけ心を痛めていたかなんて
考えもしなかった。
むしろ、考えないようにして、
自分の罪を認めずに生きていた。
裏切られることの辛さも、
信じぬく辛さも、離れられない辛さも、
私は何一つ知らなかったから。
いまさらだけど、それらを知って、
いまさら彼の気持ちを察して、涙が出そうになる。
自分に置き換えて考えると、
死にたくなるほど心が痛んだから。
「自分の想いが届かずに、裏切られた時の気持ちってどんなものなの?どうしてそれでも私と一緒にいたの?」
そうやって聞いたことがあった。
もう別れを決めたときのことだった。
彼は穏やかに言った。
「好きだったから。」
私は納得いかずに、また聞いた。
「どうして私を捨てなかったの?」
同じ声色で、彼はまた笑う。
「想いがつたわからなかったからって諦めるのは簡単だけど…そんなことはしたくなかった。簡単なことじゃなくて、難しくても、支え続けることで、気持ちを伝えたかったし。何より、そんな危なっかしい君を守っていきたかった」
全てが過去形で語られていたことが、
少しだけありがたくって、
最後になってはじめて知った彼の気持ちに
素直に感動した。
それでも、私の道と彼の道はすでに違っていたし、私は新しい道を共に歩む人もいたから、とても感謝はしたけれど、二度と恋が芽生えることもないことを実感した。
そして彼と付き合った最後に、
ようやく私は、人の痛みを考えることを覚えた。
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最強コンビ。
2003年10月19日短期バイトをしました。
17日〜今日まで三日間。
淡路島の某ガス屋主催のイベントに、
コロッケとたこ焼きとから揚げを売りに(笑)
発端は先月。
彼氏のバイト先のスーパーが、
そのイベントに屋台を出すというので、
二人で売り子をやってくれないかというオファーがきた。
そのスーパーの店長さんにはお世話になっているし、彼氏と一緒にやるわけだし、面白そうだし。かるーく引き受けて、やってきたイベント当日。
休憩30分の12時間労働に、
呼び込み、調理、接客。
なれない仕事、
それでも一日目は終わってからまだ100キロドライブする体力は残っていた。
そして二日目。
そろそろ喉が痛くなってきたね、なんて言いながら、寝酒を飲んで夜のお勤めもこなして就寝。
が、三日目。
「今日は閉店と同時に電池切れます」
冗談で言った言葉どおり、
閉店したとたん
「気持ち悪い」(限界)
片付けの途中も
「…(無言)…」
そのあと予定していた打ち上げも
キャンセルして、二人で早々に帰宅。
頂いてきたスーパーの惣菜で夕食を済ませ、
明日もお仕事な彼氏にマッサージをして、
布団に入る。
もう何の気力も残っていませんでした。
そんな三日間。
それでも、イベント会場では、
うちの屋台の脅威の呼び込みと接客は
一躍有名になっていました。
そりゃあねぇ、いっぱしのといえ、
劇団の団長と副団長のコンビです。
三日目の開店前、
団長が
「二人の共通点は、外面の良さだよね」
なんて言うくらい人当たりは良いし発声も完璧。
あの屋台の二人組みはすごい。
そんな伝説を残して、
売り子最強コンビが淡路島に登場(笑)
イベント入場者は、前年度を下回ったのに、
売り上げは前年比130%増をたたき出し、
もう二度とやるか!なんて思いながら
怒涛の三日間は終わりました。
カップルっていうよりも、
コンビとしていたほうが、
しっくりとくる私たち二人。
まぁみててください。
次はどこで最強コンビを名乗ろうか思案中です(嘘)
17日〜今日まで三日間。
淡路島の某ガス屋主催のイベントに、
コロッケとたこ焼きとから揚げを売りに(笑)
発端は先月。
彼氏のバイト先のスーパーが、
そのイベントに屋台を出すというので、
二人で売り子をやってくれないかというオファーがきた。
そのスーパーの店長さんにはお世話になっているし、彼氏と一緒にやるわけだし、面白そうだし。かるーく引き受けて、やってきたイベント当日。
休憩30分の12時間労働に、
呼び込み、調理、接客。
なれない仕事、
それでも一日目は終わってからまだ100キロドライブする体力は残っていた。
そして二日目。
そろそろ喉が痛くなってきたね、なんて言いながら、寝酒を飲んで夜のお勤めもこなして就寝。
が、三日目。
「今日は閉店と同時に電池切れます」
冗談で言った言葉どおり、
閉店したとたん
「気持ち悪い」(限界)
片付けの途中も
「…(無言)…」
そのあと予定していた打ち上げも
キャンセルして、二人で早々に帰宅。
頂いてきたスーパーの惣菜で夕食を済ませ、
明日もお仕事な彼氏にマッサージをして、
布団に入る。
もう何の気力も残っていませんでした。
そんな三日間。
それでも、イベント会場では、
うちの屋台の脅威の呼び込みと接客は
一躍有名になっていました。
そりゃあねぇ、いっぱしのといえ、
劇団の団長と副団長のコンビです。
三日目の開店前、
団長が
「二人の共通点は、外面の良さだよね」
なんて言うくらい人当たりは良いし発声も完璧。
あの屋台の二人組みはすごい。
そんな伝説を残して、
売り子最強コンビが淡路島に登場(笑)
イベント入場者は、前年度を下回ったのに、
売り上げは前年比130%増をたたき出し、
もう二度とやるか!なんて思いながら
怒涛の三日間は終わりました。
カップルっていうよりも、
コンビとしていたほうが、
しっくりとくる私たち二人。
まぁみててください。
次はどこで最強コンビを名乗ろうか思案中です(嘘)
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記念日の上書き。
2003年10月16日毎月16日っていうのは、
一年前まで、別の記念日だった。
27回の16日を、私は、
前の彼氏との、付き合った記念日として過ごした。二年と少し。
長い。
なんていうか、
その彼氏と別れたあとも、半年、
16日という数字を見るたびに、
体が思い出すって言う感覚。
「今日は記念日だ」って。
それはあんまり気持ちのいいものじゃ
ないんだけど、数字を感覚で覚えるのが
得意な私は、そうなってしまうから仕方ない。
そういえば、当時は、こういうウェブの日記も
別のところでつけていて、
16日の度に、記念日をラブラブに
すごしたのろけ話を書いていたのを思い出す。
「ずっと一緒に」とか、
書いていたのを思い出すと、
別れて、別の人と、愛を語っている
今の自分を振り返って苦笑がもれる。
恋愛ってそういうもんなんだろうなぁ。
日記でどれだけノロケていても、
日記には書けないところで、
たくさんの愛に翻弄されていたあの頃。
あの頃の自分を否定したりはしないけど、
(めちゃくちゃやって、学んだ優しさや
気遣いもたくさんあるから)
あの頃得た財産が今の幸せをつかむ糧になっているように、あの頃重ねた罪も、今の私に戒めのように償いをふっかけてくるから、
たまに、そんな過去から逃げ出したくなることがある。
16日という日も、そんな日。
大好きな車が逝った時から、
16日は、その車の追悼のための記念日になったけれど、それで上書きをしたつもりでいたけど、
昨晩。
12時を回って、日付が変わって、
16日って見た瞬間、
「記念日だ!」って思った。
一瞬、付き合いだしての記念日だと思った。
素でちょっとへこんだ。
んー、もう、ごまかしたりしないで、
正面から向き合って解決していくしか
ないのかな。過去って言うものとは。
とりあえず今幸せだから、
過去には侵害されたくない。
今日は、本気でそう思った。
一年前まで、別の記念日だった。
27回の16日を、私は、
前の彼氏との、付き合った記念日として過ごした。二年と少し。
長い。
なんていうか、
その彼氏と別れたあとも、半年、
16日という数字を見るたびに、
体が思い出すって言う感覚。
「今日は記念日だ」って。
それはあんまり気持ちのいいものじゃ
ないんだけど、数字を感覚で覚えるのが
得意な私は、そうなってしまうから仕方ない。
そういえば、当時は、こういうウェブの日記も
別のところでつけていて、
16日の度に、記念日をラブラブに
すごしたのろけ話を書いていたのを思い出す。
「ずっと一緒に」とか、
書いていたのを思い出すと、
別れて、別の人と、愛を語っている
今の自分を振り返って苦笑がもれる。
恋愛ってそういうもんなんだろうなぁ。
日記でどれだけノロケていても、
日記には書けないところで、
たくさんの愛に翻弄されていたあの頃。
あの頃の自分を否定したりはしないけど、
(めちゃくちゃやって、学んだ優しさや
気遣いもたくさんあるから)
あの頃得た財産が今の幸せをつかむ糧になっているように、あの頃重ねた罪も、今の私に戒めのように償いをふっかけてくるから、
たまに、そんな過去から逃げ出したくなることがある。
16日という日も、そんな日。
大好きな車が逝った時から、
16日は、その車の追悼のための記念日になったけれど、それで上書きをしたつもりでいたけど、
昨晩。
12時を回って、日付が変わって、
16日って見た瞬間、
「記念日だ!」って思った。
一瞬、付き合いだしての記念日だと思った。
素でちょっとへこんだ。
んー、もう、ごまかしたりしないで、
正面から向き合って解決していくしか
ないのかな。過去って言うものとは。
とりあえず今幸せだから、
過去には侵害されたくない。
今日は、本気でそう思った。
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創作日
2003年10月15日彼氏も、私も休日な水曜日は、
買い物やデートやら、劇団の雑務やら、
そういう特別なことがない限り、
一日書斎に二人でこもって、
創作活動をすることになっている。
気ままに(今は切迫する締め切りがないので)
ネタをかきとめたり、ホームページを作ったり、
漫画を描いてみたり、戯曲を書いたり。
お互いやっていることは違うけれど、
作り上げた作品を、すぐにパートナーに
見せれる、そして評価を受けれるという
環境は、とても貴重だと思う。
作風や感性は、正反対な二人だから、
たまに批判が食い違って、
気まずくなることもあるけれど、
お互いにお互いの作品を理解しようと
心がけているから、
それぞれの創作活動を推進する意味で、
とてもプラスになっていると思う。
コーヒーを入れたり、昼食や夕食を準備するのは、台所を仕切っている私の仕事。
そのために、自分の創作の手が止まっても
一切不満はない。
なんて説明したらいいかわからないけど、
それは至極自然なことだから。
バイオリンを練習する彼の横で、
私はショパンを練習する。
「芸術家カップルだ」
なんて、嬉しそうに言う彼の横で、
窓から見える海に目をやり、
なんだかすっごく、
魂に贅沢な生活を送っているなぁと
紅茶を飲みたい気分になったりした。
何にもしない水曜日。
気ままに創作をする水曜日、
私たちが、道なき道を歩んでいく上で、
とっても大切なひと時だ。
買い物やデートやら、劇団の雑務やら、
そういう特別なことがない限り、
一日書斎に二人でこもって、
創作活動をすることになっている。
気ままに(今は切迫する締め切りがないので)
ネタをかきとめたり、ホームページを作ったり、
漫画を描いてみたり、戯曲を書いたり。
お互いやっていることは違うけれど、
作り上げた作品を、すぐにパートナーに
見せれる、そして評価を受けれるという
環境は、とても貴重だと思う。
作風や感性は、正反対な二人だから、
たまに批判が食い違って、
気まずくなることもあるけれど、
お互いにお互いの作品を理解しようと
心がけているから、
それぞれの創作活動を推進する意味で、
とてもプラスになっていると思う。
コーヒーを入れたり、昼食や夕食を準備するのは、台所を仕切っている私の仕事。
そのために、自分の創作の手が止まっても
一切不満はない。
なんて説明したらいいかわからないけど、
それは至極自然なことだから。
バイオリンを練習する彼の横で、
私はショパンを練習する。
「芸術家カップルだ」
なんて、嬉しそうに言う彼の横で、
窓から見える海に目をやり、
なんだかすっごく、
魂に贅沢な生活を送っているなぁと
紅茶を飲みたい気分になったりした。
何にもしない水曜日。
気ままに創作をする水曜日、
私たちが、道なき道を歩んでいく上で、
とっても大切なひと時だ。
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女性について。
2003年10月13日「男性の劇作家は、女性描写を苦手とする場合が多いよね」
という私の何気ない発言が、ことの発端でした。
男性から見た、女性像と
女性から見た、女性。
ここにはやっぱり大きな違いがあって、
その違いは、
例えば女性が男性に対して抱く理想と
同じようなものから生じるものだと思います。
まぁそんなわけで、
一応女性演出家でもあった私と、
私の揶揄した男性劇作家に含まれる彼氏は、
いつしか、理想の女性像と、現実の女性と
そんな話題にまで発展していました。
彼は、いくらかの女性は、
陰口を好む性質があり、
自分の努力を主張する傾向があるといいます。
もちろん全てというわけではなく、
今までの彼の人生の中で、
彼を取り巻く女性の大半が
このような種類の女性だった
という断わりも含めて。
そしてそれを言われた私は、
女性という立場から、
確かにその性質は否めないと思うのです。
それらは、私の中にも確かに存在し、
私の経験する女性社会にも、
確かに巣食っている現象でした。
女子校で6年間生活していた私の見解では、
上記の傾向を持ってしまった場合、
それを直すことは不可能という結論になります。
それは女性社会で円滑に生き抜くために
不可欠な要素であり、
太古から培われてきた、女性という遺伝子の
プログラムに組み込まれていると認識しているからです。
ですが、そこにはなぜか例外が生じます。
女性がみんなそうだとはいえませんし、
女性がいつもそうだとは限らないです。
では、その女性の中の違いはどこからくるのか。
私の考えでは、それは周りの環境だと思うんですよ。女性が醜い部分を見せなくてもいい環境。
具体的に言うなら、
陰口を言わないでいい、人間関係と、
努力を主張しなくてもいい相手。
人が素敵な人であるためには、
女性だけでなくて、男性にも言えると思うんですけどね、自分の良さをしっかりわかって、しっかり評価してくれる人がそばにいたら、卑屈になることなく、背伸びすることなく、生きていけるんじゃないかなぁって。特に、仕事の実績で評価されることの、まだ少ない女性にとっては、人間関係の中で、それが評価されないと、やっぱり一大問題なんでしょうね、自分の存在にとって。
そういう人をどう探すかは、別の議題で。
今、私は、自分を評価してくれる人がいますから、彼の嫌いな人間にならずにすんでいます。
そのことへの感謝も、忘れちゃだめですよね。
男性と女性の話から、今日もたくさんのことを学び、心に留めました。こういう生活を、これからも続けて生きたいと思います。
という私の何気ない発言が、ことの発端でした。
男性から見た、女性像と
女性から見た、女性。
ここにはやっぱり大きな違いがあって、
その違いは、
例えば女性が男性に対して抱く理想と
同じようなものから生じるものだと思います。
まぁそんなわけで、
一応女性演出家でもあった私と、
私の揶揄した男性劇作家に含まれる彼氏は、
いつしか、理想の女性像と、現実の女性と
そんな話題にまで発展していました。
彼は、いくらかの女性は、
陰口を好む性質があり、
自分の努力を主張する傾向があるといいます。
もちろん全てというわけではなく、
今までの彼の人生の中で、
彼を取り巻く女性の大半が
このような種類の女性だった
という断わりも含めて。
そしてそれを言われた私は、
女性という立場から、
確かにその性質は否めないと思うのです。
それらは、私の中にも確かに存在し、
私の経験する女性社会にも、
確かに巣食っている現象でした。
女子校で6年間生活していた私の見解では、
上記の傾向を持ってしまった場合、
それを直すことは不可能という結論になります。
それは女性社会で円滑に生き抜くために
不可欠な要素であり、
太古から培われてきた、女性という遺伝子の
プログラムに組み込まれていると認識しているからです。
ですが、そこにはなぜか例外が生じます。
女性がみんなそうだとはいえませんし、
女性がいつもそうだとは限らないです。
では、その女性の中の違いはどこからくるのか。
私の考えでは、それは周りの環境だと思うんですよ。女性が醜い部分を見せなくてもいい環境。
具体的に言うなら、
陰口を言わないでいい、人間関係と、
努力を主張しなくてもいい相手。
人が素敵な人であるためには、
女性だけでなくて、男性にも言えると思うんですけどね、自分の良さをしっかりわかって、しっかり評価してくれる人がそばにいたら、卑屈になることなく、背伸びすることなく、生きていけるんじゃないかなぁって。特に、仕事の実績で評価されることの、まだ少ない女性にとっては、人間関係の中で、それが評価されないと、やっぱり一大問題なんでしょうね、自分の存在にとって。
そういう人をどう探すかは、別の議題で。
今、私は、自分を評価してくれる人がいますから、彼の嫌いな人間にならずにすんでいます。
そのことへの感謝も、忘れちゃだめですよね。
男性と女性の話から、今日もたくさんのことを学び、心に留めました。こういう生活を、これからも続けて生きたいと思います。
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劇団の人事。
2003年10月2日私がこの病気とゴタゴタしている間に、
劇団員が3人退団しました。
3人とも理由はそれぞれであるようで、
別にそれを否定することも、とめることも、
そんな野暮なことしませんでしたけどね、
正直、釈然としない思いでいっぱいでした。
旗揚げ公演を終えて、
団長と、私と、その3人とが中心になって、
劇団を盛り上げて行こうと誓い合っていたから。
時間が流れたら、人の心も変わるんだろうけど。
人が集まって、解散していくのって、
こんな簡単なものなのかなぁ。
集団に所属すると、個人の時間って、
その分少なくなるのは仕方ないと思う。
学校然り。
最近は、個人の時間を割きたくないから、
劇団に所属せずに、フリーで演劇活動をするって役者が増えているらしい。集団を嫌う現代っ子。
まぁ時代柄、わからんでもないし、
実際私も、その気質はあるんだけれども、
もっと頑張れなかったのかなぁ、
っていうのが正直なところ。
自分の言った言葉に、もう少し、責任持てよ…。
いろいろな人間がいる。
それでいいんだけどね、
くるもの拒まず、去るもの追わず、
そういう団長の意向には賛同したいから、
何も言わなかったけど。
芸術をやってると、
どうしても折り合いをつけられない
時って来るもんなんだろうし。
ただ、やっぱり釈然としないんだよなぁ…。
劇団員が3人退団しました。
3人とも理由はそれぞれであるようで、
別にそれを否定することも、とめることも、
そんな野暮なことしませんでしたけどね、
正直、釈然としない思いでいっぱいでした。
旗揚げ公演を終えて、
団長と、私と、その3人とが中心になって、
劇団を盛り上げて行こうと誓い合っていたから。
時間が流れたら、人の心も変わるんだろうけど。
人が集まって、解散していくのって、
こんな簡単なものなのかなぁ。
集団に所属すると、個人の時間って、
その分少なくなるのは仕方ないと思う。
学校然り。
最近は、個人の時間を割きたくないから、
劇団に所属せずに、フリーで演劇活動をするって役者が増えているらしい。集団を嫌う現代っ子。
まぁ時代柄、わからんでもないし、
実際私も、その気質はあるんだけれども、
もっと頑張れなかったのかなぁ、
っていうのが正直なところ。
自分の言った言葉に、もう少し、責任持てよ…。
いろいろな人間がいる。
それでいいんだけどね、
くるもの拒まず、去るもの追わず、
そういう団長の意向には賛同したいから、
何も言わなかったけど。
芸術をやってると、
どうしても折り合いをつけられない
時って来るもんなんだろうし。
ただ、やっぱり釈然としないんだよなぁ…。
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忘れない一日。
2003年10月1日退院した昨日。
彼氏の涙を見た。
一週間ぶりに二人で横になった布団の上、
ようやくほっと一息ついたところで、
「よかった」とつぶやく声が震えていた。
驚いた。
普段は、あまり感情的にならない人だから、
クールな人だから、そんな姿は滅多に見せてくれなかったし、何より、安堵感から涙を流す人なんて、そうそう見ることもなかったから。
「無事に帰ってきてくれてよかった」
「ありがとう」
涙を見せないように私を抱きしめながら、
何度もそう言ってくれる彼氏を、
このとき心底いとおしいと思った。
普段、なんともない、みたいな顔をして
しっかりリードしてくれている人だから、
私は本当になんともないんだと思っていた。
それが、人一倍心配してくれる人で、
誰よりも、私がこの家に戻ってくるのを
待っていてくれたんだってわかったとたん、
私も涙があふれてきた。
入院している間、私は、自分の体のことだから、
良いも悪いも、体調のことは自分でよくわかっていた。だから、回復が順調なのもわかっていたし、それほど深刻な状況でもないのはわかっていた。
でも、彼はどれほど心配だっただろう。
病室で横たわる私を見て、どれほど不安だっただろう。毎日見舞いに来る彼の表情は、いつも笑顔だったから、そんなこと気づきもしなかった。
とても申し訳なくなった。
母親はこう言っていた。
卵巣っていうものは、女しかもっていないものだから、それを持っていない男の人にとっては、卵巣の病気って言うのはとっても未知なる物。だから、お母さん以上にお父さんが、お父さん以上に、毎日あんたに付き添っている彼氏は、心配だったと思うよ。
恋愛が、違うものに変わったのを
心底実感した瞬間だった。
感謝と、愛情を噛み締めて。
昨日はそう、半年記念日。
良い記念日になったことを、
彼氏にも全てに感謝したい。
彼氏の涙を見た。
一週間ぶりに二人で横になった布団の上、
ようやくほっと一息ついたところで、
「よかった」とつぶやく声が震えていた。
驚いた。
普段は、あまり感情的にならない人だから、
クールな人だから、そんな姿は滅多に見せてくれなかったし、何より、安堵感から涙を流す人なんて、そうそう見ることもなかったから。
「無事に帰ってきてくれてよかった」
「ありがとう」
涙を見せないように私を抱きしめながら、
何度もそう言ってくれる彼氏を、
このとき心底いとおしいと思った。
普段、なんともない、みたいな顔をして
しっかりリードしてくれている人だから、
私は本当になんともないんだと思っていた。
それが、人一倍心配してくれる人で、
誰よりも、私がこの家に戻ってくるのを
待っていてくれたんだってわかったとたん、
私も涙があふれてきた。
入院している間、私は、自分の体のことだから、
良いも悪いも、体調のことは自分でよくわかっていた。だから、回復が順調なのもわかっていたし、それほど深刻な状況でもないのはわかっていた。
でも、彼はどれほど心配だっただろう。
病室で横たわる私を見て、どれほど不安だっただろう。毎日見舞いに来る彼の表情は、いつも笑顔だったから、そんなこと気づきもしなかった。
とても申し訳なくなった。
母親はこう言っていた。
卵巣っていうものは、女しかもっていないものだから、それを持っていない男の人にとっては、卵巣の病気って言うのはとっても未知なる物。だから、お母さん以上にお父さんが、お父さん以上に、毎日あんたに付き添っている彼氏は、心配だったと思うよ。
恋愛が、違うものに変わったのを
心底実感した瞬間だった。
感謝と、愛情を噛み締めて。
昨日はそう、半年記念日。
良い記念日になったことを、
彼氏にも全てに感謝したい。
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退院。
2003年9月30日一週間早く、退院しました。
おめでとう!
脅威のスピードで治しました。
病は気から、これは正解(笑)
どうしても今日は退院しなければいけなかった。
半年記念日だから。付き合って。
私はそういうのは大事にする方だから余計。
退院の予定日を見たときは、
入院中に記念日が過ぎてしまうことを知り
嘆いて涙だって流したけど、
「もしかしたらいけるかも」
って希望が見えた瞬間から、
毎日毎日治れ治れ光線をお腹に当てて(笑)
治した!!!
さすが私。
でも、同じ病室にいたおばちゃんは、
もう2ヶ月入院しっぱなしだと言う。
「何のために治せばいいのか、生きる目的を見失ってしまった。でも、死ぬのは怖い。」
そう言って、夜になると涙を流していた。
私と同い年くらいの息子を、独立させたばかりだという。離婚して、夫はいない。待つ家族は、姉夫婦だけだとか。
なんだかいたたまれない気分になった。
愛する人のために、病を治せた私は、
とても幸せなんだと、
この幸せを忘れてはいけないと
深く心に刻み込んだ。
病院にいたら、いろいろな人生があって、
それぞれが生きることと死ぬことと向き合っていた。勉強になった。
私は、私をとりまくすべてに感謝しながら、
病院をあとにする。迎えに来てくれた彼氏の横で。
外に出たら、周りはすっかり秋で、
大好きな彼岸花が満開に田んぼを飾っていた。
おめでとう!
脅威のスピードで治しました。
病は気から、これは正解(笑)
どうしても今日は退院しなければいけなかった。
半年記念日だから。付き合って。
私はそういうのは大事にする方だから余計。
退院の予定日を見たときは、
入院中に記念日が過ぎてしまうことを知り
嘆いて涙だって流したけど、
「もしかしたらいけるかも」
って希望が見えた瞬間から、
毎日毎日治れ治れ光線をお腹に当てて(笑)
治した!!!
さすが私。
でも、同じ病室にいたおばちゃんは、
もう2ヶ月入院しっぱなしだと言う。
「何のために治せばいいのか、生きる目的を見失ってしまった。でも、死ぬのは怖い。」
そう言って、夜になると涙を流していた。
私と同い年くらいの息子を、独立させたばかりだという。離婚して、夫はいない。待つ家族は、姉夫婦だけだとか。
なんだかいたたまれない気分になった。
愛する人のために、病を治せた私は、
とても幸せなんだと、
この幸せを忘れてはいけないと
深く心に刻み込んだ。
病院にいたら、いろいろな人生があって、
それぞれが生きることと死ぬことと向き合っていた。勉強になった。
私は、私をとりまくすべてに感謝しながら、
病院をあとにする。迎えに来てくれた彼氏の横で。
外に出たら、周りはすっかり秋で、
大好きな彼岸花が満開に田んぼを飾っていた。
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手術前の日常。
2003年9月9日おかしなもので、手術入院を待つ間も、
日常生活は普通に過ぎていきます。
仕事にも行くし、家事もする。
でも、激しい動きができない。
仕事でも、みんなそのへん配慮してくれるから、ありがたい。そして申し訳ない。
体調はすぐれないままだから、劇団の稽古も休みがちになるし、やることもできないし。
自分が病気になると、周りの人の優しさが、身に染みてわかるというのは、本当だと思った。みんな優しい。
特に、一緒に生活している彼氏の優しさには、涙が出るほど嬉しかった。私に無理のないように、常に配慮してくれて、手術を不安がる私を慰めてくれた。とっても心配をかけているんだろうけど、それを表に出さない彼の態度が、とても暖かかった。だから、がんばろうと思った。
日常生活は普通に過ぎていきます。
仕事にも行くし、家事もする。
でも、激しい動きができない。
仕事でも、みんなそのへん配慮してくれるから、ありがたい。そして申し訳ない。
体調はすぐれないままだから、劇団の稽古も休みがちになるし、やることもできないし。
自分が病気になると、周りの人の優しさが、身に染みてわかるというのは、本当だと思った。みんな優しい。
特に、一緒に生活している彼氏の優しさには、涙が出るほど嬉しかった。私に無理のないように、常に配慮してくれて、手術を不安がる私を慰めてくれた。とっても心配をかけているんだろうけど、それを表に出さない彼の態度が、とても暖かかった。だから、がんばろうと思った。
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検査。
2003年9月4日一週間くらい体調が悪かった。
むしょうに体が痛む。
家事はおろそかになるし、
仕事は休みがちになるし。
ついに、彼氏の心配袋の緒が切れた。
「病院に行け」って怒られて、
でも病院嫌いだし、私、
でも怒られるのはもっと嫌いなので
「ごめんなさい」って謝って病院に行った。
MRIとかCTとか、採血とか、エコーとか、レントゲンとか。
内科で3時間くらい検査して、
行き着く先は「産婦人科」
えっ!?
何々?って思ってたら、お腹の中の写真を見せられた。何かある…。
卵巣の位置に、なんかデカイ何かがある。
医者「髪の毛とか、脂肪とかが入ってるんですよ」
卵巣に。
え?
医者「手術ですね」
は?
医者「とっちゃえば、問題はないから」
いやいや、
医者「放置したら破裂の危険性が…(云々)」
とっちゃうのが問題なんですよ。
でも選択の余地もなく。
手術入院の日取りを決める。
早期発見で助かったといえばそうなるけど…
2週間も入院しないといけないらしい。
彼氏に、親になんて言おう…。
気が重くなった。
むしょうに体が痛む。
家事はおろそかになるし、
仕事は休みがちになるし。
ついに、彼氏の心配袋の緒が切れた。
「病院に行け」って怒られて、
でも病院嫌いだし、私、
でも怒られるのはもっと嫌いなので
「ごめんなさい」って謝って病院に行った。
MRIとかCTとか、採血とか、エコーとか、レントゲンとか。
内科で3時間くらい検査して、
行き着く先は「産婦人科」
えっ!?
何々?って思ってたら、お腹の中の写真を見せられた。何かある…。
卵巣の位置に、なんかデカイ何かがある。
医者「髪の毛とか、脂肪とかが入ってるんですよ」
卵巣に。
え?
医者「手術ですね」
は?
医者「とっちゃえば、問題はないから」
いやいや、
医者「放置したら破裂の危険性が…(云々)」
とっちゃうのが問題なんですよ。
でも選択の余地もなく。
手術入院の日取りを決める。
早期発見で助かったといえばそうなるけど…
2週間も入院しないといけないらしい。
彼氏に、親になんて言おう…。
気が重くなった。
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退学届。
2003年9月1日念願の某芸大に編入学して1ヶ月、
学校に行かなくなりました。5月末。
なんか、余計な時間な気がしていたのが理由。
大阪から淡路島に、劇団のために通う。
6月。旗揚げ公演が終わって、
淡路島に住み着く。6月末。
大学に行く気ゼロ。
学校まで徒歩5分の部屋を引き払い、
学校まで車とフェリーとで4時間かかる
淡路島に引っ越すことで証明された。
バイトも決まって、自由業生活スタート。
劇団の団長との半同棲も悪くない7月。
劇団は荒れ模様。
身の回りも荒れ模様。
だけどへこたれてる暇はないのでそのまま。
新しい仕事にも生活にも慣れた8月。
とりあえず一難さって、
客商売のお盆地獄を乗り越える。
おじいちゃんの三回忌に行く。
もう3年目か、なんて思いながら、
8月は終わっていった。
そして、後期が始まる前にと、
今日、退学届を提出しました。
これではれて自由業。
つらいこともあるけれど、
なんとか乗り切ろうと、同居人と誓う。
学校に行かなくなりました。5月末。
なんか、余計な時間な気がしていたのが理由。
大阪から淡路島に、劇団のために通う。
6月。旗揚げ公演が終わって、
淡路島に住み着く。6月末。
大学に行く気ゼロ。
学校まで徒歩5分の部屋を引き払い、
学校まで車とフェリーとで4時間かかる
淡路島に引っ越すことで証明された。
バイトも決まって、自由業生活スタート。
劇団の団長との半同棲も悪くない7月。
劇団は荒れ模様。
身の回りも荒れ模様。
だけどへこたれてる暇はないのでそのまま。
新しい仕事にも生活にも慣れた8月。
とりあえず一難さって、
客商売のお盆地獄を乗り越える。
おじいちゃんの三回忌に行く。
もう3年目か、なんて思いながら、
8月は終わっていった。
そして、後期が始まる前にと、
今日、退学届を提出しました。
これではれて自由業。
つらいこともあるけれど、
なんとか乗り切ろうと、同居人と誓う。
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